思い出 11
玄室のドラゴン種族とか動く蒔絵とか液体磁石が湧く泉(形が千変万化する。ドリルみたいになったり鬼の金棒みたいになったり)みて、
その後も出会うことになるリチャード・ロングの作品との出会いは印象的だった。
一瞬わからんかったのだが、リチャードの 歩行による線 50年くらいやってるアート行為。
単純だがこの期間の特設だった種差にかかわるアートのなかで趣が違う作品。
種差の海岸を7日間、テントで寝泊りしながら裸足で歩く。
美術館の壁に示された言葉。と足跡の写真。素朴なのに、なにか本質に迫る表現があって、圧倒された。正直なぜか泣いた。
種差にかかわる作品群はとっても良質なものが揃っていて、入場料以上の価値があったな。
蛇足ですが。
二度目のリチャードとの出会いは、瀬戸内海の直島でございました。
あの安藤忠雄のアートともいえる建築群にある美術館のホテル。その偉大な建築物の壁に自分の地元にあるデボン川の泥を塗りたくると言うやんちゃを行った跡で再会となりました。さすが野生児!正直笑った。忠雄けっこう怒ったらしく。
ホテルマン兼学芸員さんの鉄板ネタなんでしょうが。マジうけた。
ほぼ貸しきり状態の美術館のレストランで地元野菜のパスタ食って。
また港。うん。真横の遺跡はいかなかった。美術館から地下通路あったけど、くそ暑いわ!倒れるわ!って大人の判断ですね。
さて。帰るか、いやもう一泊してもいいが、どうすんべと。
青森港にもどってぶらぶら。
あ、そうだ。前日ゲットした高速船のりばへうっかり。
高速船のったら、隣に教育要領を必死読み込む若い娘が。
あら、新人赴任教師かしらー。限界地っぽいし。なんかドラマちっくだなーと。
ひととおり妄想させてもらう。
小さな港で観光用の遊覧船に乗り換え。
ここで大変な場面にであう。帰ってきた遊覧船の中で息を引き取ったおじいちゃんがいた。家族連れで、観光に来た様子だったが、おじいちゃんが倒れて、船の組合の方が人工呼吸してて、娘やその娘が泣きながら声をかけている。
救急車はなかなか来ないと、乗り換えの切符切りのおばちゃんが説明してくれる。
そんな場面で、乗換えまで時間あるから、そこのお土産売り場でも覗いてくださいって。
そんな!そんなテンションになれねーよ。
15,6人、ぼやーっとお土産見つつ、おじいちゃん気にしつつ、救急車はよこい!という具合で。
しばらくたってやっとサイレンが聞こえて、「こっちだぜー!」ってみんなで目印になろうと道へでたら、切符切りのおばさんが
「救急車着た!!!あ、船も着た!!!みなさん、遊覧船着たので乗ってくださーい!!」
巨漢をゆらしながらおばちゃんが活発に先導してくる。
絶対に笑ってはいけない状況なのに、激しくツボえぐられて物凄い形相で耐えた。
着いたという事象を、同列に並べてはいけない状況というものがある。目の前で起きていることこそが、まさにそれだ。それをこのおばちゃんはてらいもなくいってのけたのである。
衝撃なのだった。
救急隊員が電流で心臓のやつやってたから、全員とりあえず納得できて船に。
ひとはね。自分にあまりかかわりのない死に対して恐ろしいほど無関心である。ということを体感した。
その後の奇岩見学、みんなまあ普通のテンションだったから。
自分も妙なもやもやはあったけど、雲丹見ながら、じじいのアイス買って食ってた。
ここで若いナイトにであった。
中学生くらいの男の子が、三十路の私を先導するように現れた。
「ここは、この場所から登れるな!」
「この先はもう、行けそうにないな。よし戻ろう!」
無駄にでかい独り言をわざわざ聞こえるようにエスコートしてくれた。
大変にありがたかったが、「ごめん、僕、もう三十路の厄年女なんだ。ほんとうにごめん。二十代前半のかわいい女の子だったらよかったんだけど」心の中で本気で謝った。