うるせぇ。
昨日のしくじり先生、最高だった。
わかるわー。
大人になってから買うCDって極端に減った。
確かに好きなアーティストができないっていうのが大きい。
ロックすきなのだがアジカン以来とくにはまったバンドもないしCDも買わないし。
現行でCD買うのはアジカン、ふぉるだから応援してる三浦大知と時々、くるり、perfume,クリスハート、リンキン、秦氏あとはジャズばっかり聴いてる。
(先日、むしゃくしゃした夜にマイルス聴いたらすっきりした。そういえば最近ジャズ成分が不足していた。)
アジカン後に気になった音楽は、心地がいい声とか、歌唱力の高い人とか楽曲のメロディが好きなのとかで、特別歌詞に共感できるものはない。
ないんだよね。
うわ~わかるわ~って歌詞で共感できるのはアジカンぐらい。
(最近、ゴッチの思想が強いらしいが。僕が世界経済と環境学の専門書読みまくってたときに、一部の富裕層が富を占有するグローバル経済が生む格差に対抗できる実践的な方法は肉を食べない。だ、というとこまでわかって数年後、ゴッチも肉を食べない活動を始めたのでちょっとウケた。たぶん路線が一緒のひと。なので歌詞もすんなり共感できる。)
大人のCD購買が減るのは、人生経験が増えて歌詞に共感できる楽曲が減るのが原因ではないかと昨日の先生があげた説は納得。
きっとずっと、とか入れて、桜が散れば売れる。春はJPOPシーンで桜が散り散らかしている、掃除するのは俺ぐらいとか笑ってない目で毒舌吐きまくった大事manブラザーズの立川さん。彼の発言と経緯が僕もかぶる部分があって、あのやさぐれかたに激しく共感した。
何が大事なのかわからなくなった。僕もです。
何故そうなったか。他人とか世間に流されて自分の土俵をみてないから。
そこで太蔵先生の言っていたことにもかぶるのだが、人の言うことなんか「うるせぇ」なのよ。
2013年の俺が学んだことは人の言うことなど何の当てにもならないということ。
(去年はもうちょっと自分を信じてみようだった。)
人とはそもそも凄まじい断絶の平行世界を生きている。
ひとは個と意識のチャンネルのまったく接触していないそれぞれのパラレル世界を生きていると思うのですが、それぞれ違う土俵で生きているので、人の土俵のルールとか戦い方を外から言われても、自分の土俵では通用しないし、価値も違うし全く役に立ちもしない。
他人のいうことは、自分の土俵には通用しない別次元の話。
そういうことで人のいうことを真に受けてはならない。自分の王は自分。
中島みゆきもその船をこいでゆけ。お前の手でこいでゆけ。といっている。宙船っていい曲だよね。
自分を軸にすえるということがやってこられなかった。それは弱さゆえ。結局失敗したとき自分で責任を取りたくなかった。だから他人軸でやってきた。だってお前がそういったもん!という逃げ道をなくしたくなくて。
ただの逃げなのに、他人の意見を聞く素直な子というきぐるみを着ていたせいで2013年かなり他人に振り回されて、「ヒト、やっぱり面倒くさい」となった。でもこれも自分の選択なので、結局は自分の問題。
そして、なにもかも気に入らないと拗ねてきた。
しかしして、よくよく考えたら、この土俵の舞台装置も登場人物もすべて自分が選択してきたものなのだ。一体どうしてこれらを選んだ。その本心はなんだと。くそくらえな日々を引き寄せて積み重ねてきた俺の腹の底で、こうなるよう望んでた原因はなんなんだ?と。
それをしっかり理解することが、2015年の課題のようです。
世間の常識とか、価値観とかのジャミングをとっぱらって、
自分にとって何が一番大事なのかを考えること
立川さんの言葉とともに、昨夜、ここに帰結した。