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世界のダークサイドが騒がしいらしい。

 

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 尊いサポートをありがとうございます。

 

 昨日からパンイチのちっさい人に数十分おきに襲撃をうけている。

 奴さんはサスペンスホラーの効果音を口で言いながら、パンツの中から100均のナイフ(押すと刃先が柄に入るおもちゃのね。だいぶ前から欲しがっていて先ほど買ってもらったらしい)を取り出して「しんじまえ~!」と助走つけて刺しにやってくる。あー来た来たまた来た。というかんじ。

 綿のぶかぶかしたピンクのパンツからナイフを取り出すときの凶器を帯びた笑顔が面白すぎて毎回爆笑してまう。パンツのウエスト部分中央には小さなリボンがついていたりもする。

 とんでもなくかわいいが、ここに絆なんてものは存在すんのかい?

 

 そもそも絆ってなんなのかい?

 どうやらそっから自分にはわからねんだ。

 継続的な関係性とかが絆に相当するものなのかい?

 だとしたら、そんなもの一体どこにあるんだい。
 愛それさえも不満足を生む欲なのだと仏陀はいった。そこに苦があるのだと。

 

 やっぱりあのワイパーみたいに、俺には見えないけど、俺以外の大勢の人にはそれが確実にはっきりみえてるもんなのかい。なかったんだぜ三本目のワイパーは。

 

 たとえば、さっき雨が降ったから、外にいてびしょびしょになった。みたいに避けようのない事象があって、俺は傘をさしたとか、室内に入ることにした。と雨に促されて自動的に行動することのように、人も何かしら常に作用しあって(見知らぬ人同士さえ)いるとおもう。作用されていることだらけなのにこれが「我」と妄信しちゃっているんでしょ。

 仏陀

 思い通りにならない老いや病も実は、外からやってくることで。それは我でない。

 と言うから。

 僕らはコントロール外の六根六境に視点を限定されてしまっているせいで、間違った我と言うフィクションの籠に閉じ込められているんだなあ。こういう縁起に気付き、もう一個外の我という視点を持ち、ままならんことや喜怒哀楽すらも楽しんで生きられれば輪廻(不満足)の輪からも脱するっていうこと?仏陀さんよお。

 

 アンドロイドで仏陀再現してくらたらいいなあ。

 相当通い詰めるよ僕は。

 仏陀アンドロイド見た目が超イケメンやったらややこしいことになる。やっぱある程度ロボ感残しといたほうがいろいろ無難やろうなあ。