ジョーカーみてきた。

もちろんネタバレしまくりで感想書きます。

 

 

 まず構造についてですが、監督怖い!って終始思わせるものでしたよ。

 すべてのエピソードに対比構造があってその主たるとこでいうと正義と悪といったところになるのかもしれんが、それを象徴する人物配置がほぼ逆になっているんだ。

  ぼっち対大衆。ボッチの主張の方が道徳的だが、発言権がない。大衆の暴力はまかり通る。

 社会的成功者がやることのほうが、他者に思いやりを欠いた人間であってむしろ悪。主人公のような社会的弱者のほうが、暴力に耐え周りに配慮をもった慎ましい人柄であって貧しく最小限の生活をしている。ぎりぎりのとこまで踏みとどまってきてついに殺人という手段をとってしまうがそれも自衛きっかけではあるが、どちらかといえば立場は善であったりと。

 地下鉄でアーサーが目を付けられたきっかけは笑いだったけど、あの発作的笑いは世の中の不条理に対してアーサーが対処できないとき出てしまうように演出されてたから、地下鉄で絡まれて危険を感じている女性に共感したアーサーの笑いはやっぱり善の意識がある。

 一番笑った小児病棟のシーンは、命を必死に救おうとしている場所に、引き金ひくだけで簡単に命が奪える銃という道具が飛び出すという対比で。

 笑いってこういう不条理とか、暴力に対して発現するんだなあと気づかされるわけだが。

 立場の弱い社会的弱者で身体も恵まれていないアーサーが、TVショーで笑いものにされているこの世の中が変だよ笑えるねってジョーカー誕生となっていくわけだけど、あの話を思い出した。昔の道化師は王様に付随して、唯一王様のことをネタにしてバカにする役だったという。これを黒澤も「乱」で使ってた。道化師は王様が裸の王様にならないようにするための装置でもあった。まさに現代ではスタンダップコメディがその役を担っているわけで、成功者の象徴マーレーを弾劾するシーンも逆転してて、マーレーがそもそも世の中の不条理を笑う人間だったはずなのに、なに金持ってふんぞり返ってんだよおかしいだろ、俺ら弱者を作りやがって、俺らがなんかしたか?こんなに苦しいのに!つってアーサーがそれを指摘している構造。

 だけども、こういう弱者の叫びみたいなとこに一貫してない作りが常にあって、途中から、あれ、これ全部、妄想なんじゃんっていう。白い部屋の頭突きの音が、アーサーの生活シーンにかぶってきたりとか、妄想彼女とか時系列の場面転換が不自然だったりで、最後の白い部屋のシーンが「ユージュアルサスペクツ」的な展開だったから全部作り話だったの?だとしたらこの映画は、DCのヒーロー界とは違う世界線のジョーカー噺映画だったことになるし、「お前らには理解できねーよ」って突っぱねたアーサーのセリフから、アーサーのこの妄想のどこが笑えるかわかるか?わかんねーだろうな。といってるんだとしたら、これはお葬式でどうしても笑ってしまう蛭子さんの話じゃん。俺蛭子さんの映画何時間もみてたの~?!って最後なった映画だった。

 しょっぱなからずーっとホアキンすげえ!なんじゃこりゃこの人どうなってんだっていう衝撃はすごかったけど、監督の映画の作り方も構造がむちゃくちゃ複雑でこの人頭良すぎるやろ!って恐怖した。

 でもまあ、好きな映画にはなるんだろうな。まさに映画!な映画だったもの。すごい主演のすごい演技と次から次への物語運びと演出とそしてその全部が濃い。

 

 情緒的には前半の半ばあたりまであま泣き状態で、このままは辛いなあと、もし、1ドルでホットドック一個が買えないみたいなシーンがあったら、もう無理!って思ってたし、あのバスのおかんそんなん言わんくっていいやん!って怒りも沸いたけど、どうも虚実まぜこぜ、どころか全部嘘っぽいぞってなってからは、距離持って見れるようになった。アーサーがまったくご飯食べてないし、でかい怪我があってもおかしくないのにそうでもないとかますます作り話らしくなって、そういうなかでもなぜか悲しくて仕方なかったシーンはブルースとアーサーが柵越しで話すとこ。

 アーサーが自分の名前をいうとこでなぜか悲しくてしかたなかった。

 そんでブルースぼっちゃんに笑えって教えるんだよね。「ブルース坊ちゃんは笑えないんだ」とお付きの男が言っていたが、親に恵まれてなかったからだよね。きっとトーマスウェインもその嫁も、いい親じゃなかったんだとおもう。子供が笑わない育て方ってどういうこと?秘密の花園のメアリーみたいに誰からも愛情を受けてなかったはずやな。でも初めて人間的な情緒で接したのがアーサーだったんじゃないかと思えて、アーサーがブルースを引き取る世界線の話がみたくなった。ちょうどアーサーはブルースの親殺してなかったし。

 その後のアーサーのおかんの若かりし頃のきれいな笑顔の写真うらにトーマスウェインとおぼしきサインはいってるしさらに混乱。もしかしておかんトーマスのせいで病んだうえに、ほんとは良いおかんだったんじゃないの?アーサーが殺したのも、これ以上この現実に傷つかないよう殺したんでないの?とか疑問は尽きない。

 でもやっぱり白い部屋でのシーンになるし、複雑な映画だよ。

 

 あの階段はすごい演出だった。生活してたころのアーサーが肩すぼめて上がってる様子は、上ってるのに暗い空に落ちてくみたいにみえたのに、道化師姿で踊りながら降りてくるとこは逆にあがってる。もう、アーサーがご機嫌なのが一番だよう!楽しそうでなによりだよう!ってほほえましくなった。そうそうブレイキングバッド的部分。

 小人症のおっさんには失礼だったかもしれないが、かわいすぎた。危機を感じて物陰を探している素振りとか鍵が開けられないんだようって危機をあたえてる本人に助けを求めるとことか、かわいすぎてぐうってなった。きっと世界中そうだったとおもう。

 気が高ぶるとなぜか暗黒舞踏するアーサーとかちょっと面白いシーンもたくさんあったし。それにしてもあの貧乏ゆすりはすごかったな。貧乏ゆすりしてるシーンはこっちもひりひりして嫌な汗がでるような、マジギレしたくないのにキレちゃったときの自分にリンクする居心地のわるさ。あとノートね。中二病ぽい。裸の切り抜きの上に病んだ落書きしてるのとか気持ち悪くて、アーサーさあ、そういうとこだよ自覚ないと思うけどとか同情していいやらなんやらで。社会からはみ出してしまうアーサーがずっと消えてなくなりたいと自殺ごっこしてるのにむしろ人殺しばっかりやってる。

  だからどうしても映画全体の感想もアーサーが魅力的すぎる。というとこに集中しちゃうし。そしてホアキンが凄すぎるというとこに落ち着きがちだが、でもやっぱり、こういう因子が今たくさん生まれてるぞ、一部の既得権益のうえに胡坐かいて富を多くの市民から吸い上げるような仕組みをよしとしているごく少数の人間に「まじでやべえぞ」っていってる部分もやっぱりあると思う。もちろんその仕組みのなかで人並みに生活できればいいと思ってる市民に「おまえらもな」ともいってる。

  あと、不思議と。どうせおまえらなんかゆったって人殺しなんかできないんだからご機嫌になれる好きなことやれよ!ってアーサーに応援してもらったような気もした。