そうだよ。僕らは勝手にカジノにとじこめられた。

 

グローバル経済はそんな感じだと私は解釈しておるんです。
ルールを理解して配当率のたかいチップをもっている連中はいいんだろうが。

言葉もルールも判らず、もち金をいつのまにか貧相なチップに変えられてしまった者にはたまらない。
紙の札を握り締めていたつもりが、いつのまにやら食い物に引き換えることもできないカジノチップにすり替えられている。
しかも有無を言わさず入場料を取られて出口もわからない。

すごい掛け金を動かすために、ずいぶん立派なことを言い出すスーツも現れる。
そいつは「俺の言うことは間違いない、さあチップをここに賭けろ。」席につくこともままならない群れをけしかける。
ルールも目的もわからずにチップを渡してしまう大多数の連中。
いっせいに賭けを促されたときに起きるのが戦争。


ずいぶん立派なことをいって群集を煽る人間が出てきたときが要注意だ。そいつは自分が得をする配当の計算をしただけで、結果を理解していない。
ヒトラーだってずいぶん立派なことを言って賛同した同郷の人たちにチップを配分してやった。
それでパンを得る連中が増えるうち、いつのまにかカジノに閉じ込められたことさえ連中はわからなくなっていく。そこに土の畑や活きた獲物がいなくても疑問に思わない。
個が生きる世界のことをカジノの中のルールそのものだと誤解してしまう。


「追い詰められて健康にさせられた太宰治」という吉本隆明の口述で腑に落ちた。
ほぼ日の吉本隆明の音声アーカイブすごいっす。
こういう風に説明されると改めて太宰の凄さを知ることができる。しかも実際対面されているという説得力。
こういった世の中で精神的不健康であるということがむしろまともで、カジノに出口があることを知っている人間こそまともを保つことが難しいはずだ。

 

太宰も違うレベルだけど世界の出口を意識してた人だと感じる。
晩年の太宰はすごい密度の作品を量産したんだが、どうやってそれをこなしたのか他人事じゃないだよ。
生き急いだのかなあ。と感じてしまう。根つめてバランス崩しちゃった結果か。
あの人、仕切りなおしのパルプンテ(自殺)を衝動的にやるから。慣れちゃってるから、また。
本人、最期は「ああ、今回は成功しちゃった」ぐらいの感覚だったのか、最期のは違ったのか、違うような気もする。
パルプンテじゃなくてメガンテだったのかもしれんと思ってしまうのはやはり、あの仕事量と作品群の質と文筆業に箔がついちゃったことに関係するのかなあと。
なんですでに死んだひとのことを俺は心配しているんだろう。まだ生きてる友達みたいな感覚だよ。