おかしなこといっていい?

 春に持っていかれそうで怖いけど、スピ的な理由でちょっとの遠出をして桜を堪能してきた。

 あるスピ系の方の動画でやってたんですけど、日々があんまりマンネリ化して、刺激が無くなると、日常の中で刺激を作り出してしまうと。人間て一定量の刺激を求める生き物だから、何もなさすぎると、仕事上のミスとかちょっとした事故とか怪我を自分の潜在意識で作りだしてしまうのだという。

 ちょっとわかる。

 ここ最近、堅気の仕事でちょこちょこミスやって、そもそもやる気のなさとかはあるにしても、どっかでもう辞めたくてしかたがないから自分で職場の立場を悪くしてる節があるんだろうなと。

 日頃でもやっつけみたいな対応して、その瞬間「面倒くせ、知らね!」って逃げの姿勢で適当にやり過ごして、結局後でミス発覚。のとき瞬間、ちゃんとまずいなってわかってんだけど手間とか人にかける迷惑のほうが億劫になって、やっつけでやっちゃう。

 たぶんそもそもやりたくないことばっかりやってるからなんだろうけど。

 

 ということで堅気の仕事やめたすぎるから、それは自覚しつつ、気晴らしにちゃんと刺激をつくるアーティストデートもしなくては。

 

 去年ふと気になったが果たせなかった薄墨桜再訪。

 再訪といっても何十年ぶりか。

 子供のころに来たぶり。そのときは祖父母と来た思い出。

 思い出したということは、じいちゃんばあちゃんも再訪になるような気がする。

 

 

 桜のボス。平安時代からいたらしい。

 人間が土を踏みしめ、根が弱らないようにあまり近づけない。

 ので、デカいけどスケールが伝わりにくい。

 

 なんで祖父母もついてきてるような気がするかっていうのは。

 

 

 あるじゃん。世界で共通のお話。

 子供を川に流すのとか、黄泉の国へ行った嫁を迎えに行く夫のはなしとか。蛇を畏れ神格化するのとか。

 そういうのって、単純に始祖の人間が体験したことなんじゃないかなって思ってて。あまりに強烈な最初の体験がDNAによって子孫にも残ってるんじゃねえかな。

 最初の人類は35人の母から枝分かれしたというから、出どころもそこだろう。それで共通の神話が各地に残ってるんだと思う。

 心臓にも記憶することができる細胞があるというし、始祖人類があまりにショックだった出来事を子孫の生存のために記憶細胞に深く刻み付けて遺伝子にさえ影響して、それが口伝と阿頼耶識から神話という物語に発露したんじゃねえかな。

 

 

 だから体そのものは個ではあるけども、先祖の一部でもあって、自分が桜を見ているときは先祖も、場合によっては子孫も同時に見ている。ということになる。

 

 現生人類すべての個があるいみ神話を生きていることになる。