エヴァの感想(一部のみ。)

シンエヴァネタバレの感想になります。

公式もネタバレ推奨してたんでもういいよな。

全部を描き切れてないので、書き足してはまた更新します。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プロフェッショナル仕事の流儀たまたまテレビつけたらみられてよかった。

庵野監督の仕事机の近くにウテナの紙袋あったのが意味深でしたねw

それにしても監督は周りの人から好かれすぎやろ。仕事の流儀面白い場面多すぎた。

 シンジ君の家出シーンの「みんなどうしてそんなに優しいんだよ!」のとこまんま。あそこも泣いたわ~。ほんと緒方さんの演技凄すぎた。そしてクロナミが可愛すぎて不憫で辛かった。辛かった。 

 

 

 

 

 

 では、

 シンエヴァ全体の感想は、すんごい個人的な家族ビデオを見ているような、ある意味結婚式で見せられる映像のような気恥ずかしさと、庵野監督が爆発していた。あんなにすごいクリエイターとやってんのに庵野監督濃度があそこまで高く出てるのは凄かった。

 庵野監督から分裂した各キャラクターが映画という媒体をつかいカウンセリングされていくなかで、見る側もあの時言えなかった言葉とかできなかったことをシンジ君たちに昇華してもらえることで、泣いた。うん、まさにシンジ君たちは監督のイマジナリーフレンドだったんだなあ。インサイドヘッドの穴の底でお別れしたイマジナリーフレンドのこと思い出して余計ないた。インサイドヘッドはお別れだったけど、シンエヴァは、シンジ君たちが宇部の駅にいたということは、庵野監督自身から分裂していた傷が癒えて監督自身に統合されたのだとおもう。

 あれらしいですね。思い出って、嫌なことの方が多くない?それって、その時、心のうえで処理しきれてないから記憶に残ってるらしいですね。なんとなく覚えてるぐらいの認識だったけど、気持ちの上で折り合いがまだついてないことが思い出だと知って、日常で強い反応が出る場面があるということは過去の出来事が心因になってるから、ちゃんとあの時の自分に向き合ってあげないといけないんだと最近考えていた。シンエヴァは監督が自分自身に優しくできた作品になってたから泣いたよね。

 アスカはエヴァという作品と闘ってきた監督で、

 シンジは人に対して恐怖とか不安の監督

 レイは誰にも手が届かない生まれたままの無垢なる監督

 ゲンドウはお父さんであり、自分の中にも同じものがあった監督自身

 

・「気持ち悪い」ごっこ遊びの自己否定からの肯定

・シンエヴァのために必然だったQ(レゴザムービーの構造)

 

 駿の風立ちぬ。と同じだった。

 人の役にも立たない大人になってもアニメにうつつを抜かしている、そしてそれしかできない自分への否定と、でもこれでしか生きられないという自分肯定のシーンが裏宇宙(監督の頭の中)へ繋がってこれでもかと展開している。これはレゴザムービーと似ていてイマジナリーな世界とその創造主たるリアル世界の人間(製作者)を見せちゃう手法だったけど、それが、大好きな特撮のスタジオだったとこで泣けた。監督が爆発してるぜ!って。結局、これが俺だから!ロボと特撮とお船が好きだから!!って大声で叫んでる監督に見る側も頷いて「それでええんやで!」と寿ぐのみだった。エヴァファンって庵野監督のこと大好きだよね。

 裏宇宙への前段階として、妙に狭い空間(舞台装置)だけで展開していたQだったが、それも所詮、アニメというイマジナリーな箱庭的なものを監督がどこかで否定していたのではないかと。これは震災や原発事故がおきて監督が自身の無力さに余計傷ついたからでもあるだろう。

 物語上の構造としてでは、人類補完計画が大詰めのとこまで来て、ゲンドウはそれが間違いで取り返しがつかないこともわかっているから分裂してカヲルが生まれている、そんでシンジ君に理想の自分を投影して無意識にシンジ君で人生をやり直そうと、良き友としてカヲルで寄り添っていく。閉塞感がQ全体にあったのは、ゲンドウの無意識がシンジでやり直そうとしてる構造、庵野監督が世の中に貢献していないと感じているアニメ制作という仕事(エヴァの中)で自己補完しようとしてる入れ子構造だったからなのかもしれない。だからシンエヴァは絵の抜け感が意識されてて、イマジナリーでなくリアルでというセリフが入ってきたのでしょう。う~んさすが、魂の全裸監督やな!

 

 

・監督から見た得体のしれない女。と強い女。

・母の物語でもあったエヴァ

 マリですよね。映画終わって、いろいろ考えたけど、確かにマリはモヨコさんでもあると思うけど、突き詰めると監督のフィルターを通したモヨコさん=マリだから、やっぱりマリも庵野監督なんだよなあ。強く感じるのはあの世界に不在となった母なる存在ユイの代理にみえるんだよな。だから庵野監督はお父さんにもっと近づきたいとも思ってたはずだけど、相当マザコンでもある気がする。

 マリの設定から見ると、マリはゲンドウと違ってユイを失ったことを覆すまではしてなくて、残ったシンジのなかのユイを見ててそばにいてやるという、シンジの恋人というよりは庇護者にちかいポジションに思えた。結局母性に集約してんだよな。すべての女が母なる強さを内在してて、クロナミにさえ、母乳を意識させるという、母神話が貫かれとる。ユイさんに至ってはほぼ神の存在だし。ブルーウォーターを扱える宇宙から来た高度文明の生き残りやったんやろうな。封印柱とかの技術もユイさんの血筋でしか扱えない系の遺物やったぽいよな。

 初号機を殺すときに、母と父殺しをやって大人になる通貨儀礼やったと思ったのに、やっぱり母なるマリが残っちゃうんだからすべての男は乳離れしないということなんだろうか。

・親殺しからの自己の確立(シンジとアスカ)

シンジはまあ、親殺ししたようでしてなかったけど、アスカがインフィニティだらけの三角に下りて行ったシーンは面白かったですね。作画監督の錦織さんの影響を感じたぜ。あそこはウテナがディオス=あきおを倒しに行ったシーンにダブった。初号機(自分を助けてくれる王子様)にとどめを刺しに行った少女アスカ。王子様を殺しに行ったはずが、実はその王子様の中に母親がいるという構造にぞわっとした。女の敵は女というが、女にとって良きパートナーになるはずの男は母親のものみたいな。こわ!

 無垢なるレイちゃん、母ユイの二段構えやからね。でも、髪ぼうぼうのレイちゃんがいた時は泣いた。十四年もそこで待っとったんか~なんつういじらしい。しかもつばめのぬいぐるみ抱いててさ、影分身方式やったんすね。なんかもうレイちゃんが不憫すぎて泣いた。やっぱり泣いた。

 

 ↓ 次書きます。

 ・311震災からの復興とその暮らし 

       電力に頼る他人事の大衆(駿に次いで庵野監督)

 ・レイ(イマジナリー)が火垂るの節子でありこの世界の片隅にのすずを辿った理由

 

 ・シンジのアトム化問題。対話することを選べるようになった大人としてのシンジ。

 

 ・ゲンドウとカヲルは人外でスルー。自身の幸せに向き合えなかった組

 

 ・エコロジストかじさんの死に託された箱舟問題