お片付け、お片付け、散歩

お題「気分転換」

先日久しぶりに明治村行った。

職場の方にお得な情報を聞いたので、かなりお安く入村できた。

ちょっと待っていつの間に入村料2000円になってたの?というところから衝撃だったけど。

 

 不運続き。

 pixivで描いてる漫画がクレジットカード会社の規定に触るかもしれないということで、ご支援もらっていたFANBOXを一時非公開化。そしたら軽い燃え尽き症候群的な状態になった。

 あとは体調のほうで心配事と。

 堅気の仕事で嫌な目に連続で会う。

 

 これは流れを変えたいということで、ちょっと漫画描くのお休みして

 また部屋の片づけと気分転換を積極的にする。

 今朝、押入れのアンタッチャブルゾーン、卒アルの棚を改めてチェック。

 びっくりしたが、修学旅行のしおりとかも残ってた。

 アルバムだけでなく文集や名簿もあるし。

 今になってみれば、捨てても一向にかまわないとしか感じない。特に名簿なんてまったく使い道などないし。ほんと最終学歴の卒業証明ぐらいしか残す意味ないやん。

 まとめて焼却場に自己搬入するか、クロネコとかの文書溶解のやつにたのむか。

 それが終わったら、相当場所も空く。

 なぜもっと早くに気づかなかったのか。

 

 少し前に思い切って処分した未使用の絵の具とか漫画用のトーンとかは、使うかどうかより、買ったときの金額が負荷になっていて、ずるずる手元に残してたけど。

 しばらくたって処分したことに全く後悔はない。

 かかった金額としては今でも(資源的にも)惜しいことをしたと思うけど、買った以上、使わねばという心の負担がなくなったのは、かなり大きい。絵の具とまんが道具で大作を描かねばならない~という謎の強迫観念はなくなった。

 とられる場所とか埃が溜まるのも含めて、脳の負担だった。

 日常的にも、ただ生きるだけで、物ってすぐに部屋に入ってくるんだよね。改めて片づけてると、なんでこれここにあるんだろ。とか、コレ使ってないし、いらんやろ。でも捨てにくい。みたいな物がいっぱいあって恐ろしい。一個一個は使うっちゃ使うけどっていうものが集まってカオス状態なとこもあるし。

 基本は使っているものだけ残すっていう片付けのルールは理解してるけど、簡単にそうはいかんのよ!!

 

 最近、お片付けとかミニマリストの本とか動画みてて、腑に落ちたんですよ。

 物は場所とるだけじゃなくて、物を維持したり把握しておくことにも実際コストがかかるうえに、さらに脳の容量も持ってる物に取られてる。行動力や思考の容量を物が埋めてる状態。なんだなって。

 

 

 物理的に身軽にしておく=物の維持にとられる手間や意識が減る。

  時間も増えるし体も脳も楽になる。

 部屋が片付く=掃除も気軽にできる。埃が溜まりにくい。

  フットワークが軽くなる。健康的。いいことしかない。

  執着が減るから場合によっては人生規模の決断もし易くなるかも。

 

 片付けとか断捨離って何もない自分を受け入れるっていうことなのかもなと。

 二十代、三十代、何者かになろうと足掻いてとりあえずお金でそろえることはできる道具を手に入れて、それだけでもなんとなく何かに近づいたような気がしたけど期待だけがから回ってしんどくなって。

 今度またガラクタのようなものを集めたとしても、今度こそは純粋に楽しむためにものを持ちたい。そうなれたらいいよな~。

 費用対効果みたいなの考えずに自分にとって純粋に楽しい何かに出合いたい。そのための片付け。

 それにシンプルにものをあまり持たない生活って、資本主義へのカウンターでもあるし、資源の無駄使いも少しは防げていいなあと思ってる。

 

 ちなみにiPadにフレスコ入れたので、たまに絵をかいたりするんだけど、なぜか全部気味の悪ぃ、昆虫的な何かとか謎の文様とか全然ワクワクしないものしか生み出されてこない。

 ケント紙の書き心地のフィルム貼った。いいぞこれ。

 漫画的なイラストをちゃんと描こうとすると電源落としてしまうので、無理しないようにしてる。全然関係ないけど、年間ほとんど毎日必ず漫画upしてるブロガーとかすげえなと思うと同時に、悪魔と契約しとる並みに何かを犠牲にしてるんだろうなと勝手に決めつけてる。まめきちまめこのまめちゃん、健康でいてくれよと毎晩勝手に心配になる。アニメ化したの嬉しかった。